2012年 - 芦田行雄、郷土史家(* 1925年)

芦田行雄

国籍: 日本

死亡日: 2012年8月12日

年 芦田行雄郷土史家 年

年静岡県の小さな町に生まれた芦田行雄彼は幼少期から周囲の自然や歴史に興味を持ち特に故郷の風景が彼の心に深く根付いていたしかし戦後の混乱期には多くの困難が彼を待ち受けていた時が経つにつれて歴史への情熱はますます強まり郷土史家として名を馳せることになる

大学で歴史を学んだ芦田は自身の地域社会とその文化的遺産について探求する決意を固めたそれにもかかわらず地元住民からはなぜ過去にこだわるのかといった冷たい反応もあったしかしこの逆境が彼をさらに奮い立たせることとなり多くの文献や資料と向き合う日が始まった

ある日古い地図を見つけたことが転機となったその地図には数十年前には存在していた小道や家が描かれており芦田はこれこそ故郷への愛情表現だと感じた皮肉なことにその瞬間こそ彼自身が伝えたいメッセージであり過去を知ることで未来へ繋げられるという信念へと変わっていったのである

彼は精力的に研究活動を続け自ら著書を書き始めた各種資料やインタビューによって集められた情報は不明瞭だった地域史へ光を当てていくしかしそれでもなお多くの人には理解されない時代もあったようだ議論の余地はあるが彼の記事や本には常に強い反響と同時に批判も寄せられたという

年代以降日本全体で地方文化への関心が高まってきたその流れにも乗りながら芦田行雄は様な講演会や地域イベントで活動し続け多くの場合自身の研究成果について熱弁していたそんな中でも人とのコミュニケーション不足によって誤解されることも多かったようでおそらくそれゆえに一部では古臭いと評されることもしばしばあった

しかしその努力と情熱がお茶飲み話として人の日常にも浸透し始めている頃一冊の本静岡県郷土誌 が出版されたこの本はいわば当地域そのものと言える内容だったその後すぐ本書のおかげで郷土愛が再燃し人からこの町にはこんなにも素晴らしい歴史がありますという声が上がり始める

年代初頭になると日本全国各地で地域振興プロジェクトも盛んになってきたそして芦田行雄自身もその活動へ積極的に参加するようになり新しい世代との交流も果敢に試みていたおそらくこれまで触れる機会が少なかった若者達との関係構築こそ新しい視点や価値観への扉となっていたのである

年日本中で数多く開催されるイベントでは郷土記念日が設けられる運びとなり多種多様なアクティビティーによって地方文化への再評価がおこなわれましたそしてこの流れには確実に芦田行雄氏の足跡がありますこの現象についてそれにもかかわらずまだ自身では十分とは思わない部分もあったのでしょう

そして年月年もの間公私ともども地域社会へ尽力してきた甲斐あってその功績として特別表彰状受賞する運びになりましたこれは私一人だけでは成し得ないものですと謙遜した言葉ながら多くのお礼と感謝する姿勢からは満ち溢れる喜びを見ることできました

しかしながらその表彰式の日記録された笑顔とは裏腹に自身の日常生活では健康上様な問題抱えている時期でもありましたこの事実について触れる記者はいませんでしたその後数週間内一気呵成とも言える早さで容態悪化したため急逝という衝撃的ニュースはいろんな人へ波紋広げました

すべて終わった今でも静岡県内外問わず多大なる影響与え続けていますそして現在でも郷土記念日のメインテーマとして残され続けている事実それ自体語り継ぐ存在となっています皮肉にも生前より望んできただろう新世代との交流それこそ数十年先まで生き続けています

author icon

このコンテンツは rekikyo.com コミュニティによって編集されました